歴史と風土が作る未来
町並みが驚くほどきれいに保存されている。江戸から明治にかけて、ハゼの木から採取される木蝋で栄えた当時の豪商、芳我家を中心とする土蔵と白壁の町並みである。町並み保存運動が始まったのは昭和47年のこと。芳我家の遠縁にあたる画家の井門敬二氏がこの町に転居した際、家屋や町並みに感銘を受け、その保存を提唱したことと、文化庁による「第1次集落町並み調査」の対象にリストアップされたことが契機であるとか。
古くから大洲街道や遍路の拠点として栄えたそうだが、木蝋で栄えた商家の佇まいに往時の消息が偲ばれる。とりわけ「上芳我家」と「本芳我家」の二邸の存在が圧巻で、町並みの中心を作っている。なまこ壁や左官による鏝絵、窓格子などの造作も丁寧で見応えがある。民家の軒下には古式の折り畳み床几が残されており、町に漂う通行人への心遣いが嬉しい。点在する新しいカフェやゲストハウスもいい空気を生み出しつつある。
上芳我家は現在、往時の木蝋の生産施設や住居が博物館のように管理されており、ハゼの木から木蝋が採取される工程がわかりやすく解説されている。またその住居は、住まい手の普請道楽か、あるいは大工技術の粋か、障子や欄間の趣向、外廊下や階段箪笥の収まりなど、細やかに神経が行き届いており、その情緒に感心させられる。内外の庭の造作も入念で、自然を呼び込む日本の住宅建築の贅沢さをふんだんに感じさせてくれる。
試しに木蝋を一本購入して、上芳我家で燭台を借り、灯してみた。陰翳の変化に富んだ日本家屋の中に灯る和蝋燭のあかりは、翳の深まりを脈動させ、電気の時代が失った美意識の一端がいきいきと蘇ってくるようだ。和蝋燭は、燈心にハゼの木蝋をこすりつけて回しながら、それを何回も繰り返すことで太らせていく手作りの品である。太い燈心に灯る炎は風に強いらしく、安定感に満ちていて、時に激しく揺らめきながら燃えた。
町の山間部では古くから炭焼きが行われていたが、近年それを継ぐ新たな人たちがこの地に住み始め、その技術と営みを守っている。取材には武藤浩次さんと山田浩徳さんが応じてくれ、当日は、火の入った山田氏の窯の煙突から朦々と炭焼きの煙が立ち上っていた。黒く輝く炭は美しい。山田さんはもっぱら「茶炭」を焼いているそうで、「胴炭」とか「割りギッチョ」などの分類札が付された箱に、仕上げられた炭が格納されていた。
この町には「内子座」と呼ばれる芝居小屋が残っており現在も活用されている。取材当日は、この町に移住してきた人たちが主催するバースデー・コンサートのリハーサルが行われていた。木製の仕切りで区切られた座敷や桟敷席はとても風情があり、観客のみならず、演者もさぞ堪能できるだろうと、イベントの盛り上がりが想像された。かつて日本に多数存在したと言われる芝居小屋であるが、これを今に存続させている町の姿勢に共感する。
町並みも素晴らしいが、山間部にも集落が点在していて、つづら折りの道や傾斜地の風景は格別である。案内を買って出てくれた寳泉武徳さんは、石畳地区で農業のかたわら「石畳つなぐプロジェクト」を通して町の未来を見つめている。西山学さんはUターン組で地域の歴史を調査中、畑野亮一さんは熱心な町の地域振興課長、山田哲也さんは新しい栗栽培の話を始めると止まらない。人々の郷土への思いも印象的な内子の町であった。
2022.5.6