破格の露天風呂
白い湯が自然な地形の窪みに満ちて湯気を立てている。冬は雪、夏は草に覆われる山裾に、ほんのりと青みがかった白濁の湯が作り出す景色が、来訪者の心を溶かし、絡まった気持のもつれを解きほぐす。どんな豪華さも及ばない価値があることに、人々はこの地への滞在で目覚めることだろう。景観、泉質、宿の風情、料理、酒、奥まった佇まい、いずれもこの上ない。
秘湯とは山奥の鄙びた温泉である。火山国の自然の恵みは、地下を掘って湧出させるものもあるが、自然に地表に溢れ出しているものも少なくない。わざわざ山奥に分け入って、湧き出すものの恵みに浴したいという来訪者の期待に完璧にこたえ、余りあるのが秋田県は田沢湖の近くにある乳頭温泉「鶴の湯」である。開放的な露天風呂は、白く不透明な湯のせいか混浴も抵抗なく許容し、時を忘れ談笑する男女でさざめいている。
主人の佐藤和志がこの宿に関わり始めたのは1981年。露天風呂もない湯治場だったが、人を惹きつける魅力に感じるものがあった。以来改修を重ね、古民家を移築して宿泊棟を充実させた。打たせ湯の小屋を潰し、改修しようと岩を少し動かすと熱い湯が湧きだした。上質な温泉の条件の一つは源泉掛け流しだが、その典型のような露天風呂がここから生まれた。まさに地面から湧き出るまんまの温泉である。
宿の料理で特徴的なのは「山の芋鍋」。きりたんぽ鍋からの派生だが、きりたんぽの代わりに山芋を入れた。山芋が溶けて濁るので、澄ましではなく汁には味噌を使う。当初は鶏肉を用いていたが、味噌に負けない濃厚な豚バラを投じてみるとバランスがとれた。これを自在鉤につるし、炭火でことこと煮込みつつ、名高い秋田の酒をすする。炉端では鮎や岩魚が串に刺されてゆっくり焼かれていく。
夏は旺盛に草が生い茂り、冬は2メートル近い積雪で宿はこんもりと雪に覆われる。自然の恵みがこの宿には知らず満ちてくるようだ。年に一度、雪深い頃に、気のおけない友人たちと訪ねることが定例となっている。溜まっていた言葉をぬるい露天風呂で長湯をしながら吐き出し、生きる意欲を語り合う時間は、まさに命の洗濯、かけがえのない愉楽の時間である。
2019.7.18