清流を守護する米焼酎の風景

この渓流を守りたかったのです、と米焼酎・鳥飼酒造十三代目の鳥飼和信社長はいう。子供の頃、近隣の川は全て澄んでいて魚影は水底に透けて見えた。ところが下流にダムができ始めてから川は一変した。川が海と分断されるとなにかが滞り、川は弱って濁りが生じる。さらに林業家の大型機械によって破壊・放置された山は、土砂崩れで入山もままならない状態まで荒れた。これを憂えていた矢先、草津(そうず)川上流に産廃処理場を誘致する話が持ち上がった。たまらず150haの山林を入手し環境整備を始めた。

渓流の対岸が見えないほど堆く積もった岩石や、広範囲に散らばる伐採残を除去することから始めた。山林学、水文学、地質学、自然エネルギー等の知見を集め、土木、林業、造園、農業の関係者の協力を得ての遠大な作業である。渓流の自然を扱う知見は少なく、土地に学びながらの作業は7年間。その途中、先人が耕したと思しき棚田の跡を見つけ、この土地に感じるものがあり、米焼酎・鳥飼酒造の蒸留所と貯蔵庫を建設したそうだ。

この地を知ったのは、「ポツンと一軒家」というテレビ番組で、この蒸留所が紹介されたことによる。人里離れた山間にまさにぽつねんと佇む蒸留施設も不思議だが、さらに心をそそられたのは、棚田のように段差のついた四角く浅い貯水池に、熟成中の焼酎の甕が整然と並んでいる光景である。「これは一体、何なのだ?」と思わず目が釘付けになった。同時にこの施設を作った瀟洒な風姿の鳥飼和信という人物にも興味が湧いた。

鳥飼氏が指差す草津川の水面には、素晴らしく透明な水が躍動している。水の流れやうねりで、川床の石がレンズ効果で屈折し陽光にきらめいている。子供の頃はこういう水にそそられ、川に飛び込んで泳いだものだと鳥飼氏はいう。かつては日本中の川は全部こうだった。せめてこの渓流くらいは、という言葉はとても謙虚で、目の前にある川の流れは、あたかも昔からこうであったかのように見えるが、今日、かつてあった自然をあるがままに保つことは、常軌を逸するほどの志がないと実現できないのかもしれない。

酒の醸造・蒸留に関しては学者の知識を持ち、造りにおいては職人の実践力を持つ。24歳まで東京で働いていたが、長男の命で仕事を辞めて人吉に帰り酒蔵の仕事についた。7人兄弟の末っ子。老いた両親には荷の重い仕事と感じ、懸命に支えた。時代を経て、酒も嗜好も酒税や市場も変わった。大事にしているのは独創性。工夫して焼酎独特の匂いを消し、蒸留後も吟香が華やかな現在の『鳥飼』は米焼酎の中では異色の洗練を見せ、1996年のモンドセレクションではジョニー・ウォーカーと並んで最高金賞を獲得した。

以来、これを超える酒ができるまでと自社の酒は『鳥飼』一品。研究所では常に試行錯誤を続けている。精米歩合を上げ、常圧蒸留でありながら焼酎の臭みがなく、熟成に耐える厚みのある酒を目指している。欲を言えばラムのような甘みと濃度を実現したいという。草津蒸留所の、水に浸されている甕の理由を聞くと、水に浸すことで何かが変わるように感じるからという。ここは科学ではなく直感。これは山を守ることで保たれた清流である。その水に浸すことは酒造りの心意気だろう。浄化への心意気を感じる。

日本遺産「人吉球磨」は九州の中程、九州山地という饅頭の真ん中を親指で押し窪ませたような盆地である。鎌倉時代のはじめに相良氏がこの地に封ぜられ、以来七百年にわたる相良統治のもとで落ち着いた文化が育まれてきた。平安や鎌倉期に作られた仏像が阿弥陀堂の中に今日も残り、お彼岸に一斉開帳される仏像を参拝する「三十三観音めぐり」が今も続く。中心地にある青井阿蘇神社は創建1200年を誇る国宝。2020年の大雨による球磨川の氾濫の爪痕が今も残る人吉球磨であるが、少しずつ、息を吹き返しつつある。

2021.12.6

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