日本人に日本を教えてくれる宿

大事に受け継がれることで、象徴的な意味を持つようになるものがある。例えば「庭」とは、そういうものかもしれない。誰かの創意が発端なのであろうが、自然は常に育つものであるから奔放に変化し、庭を継ぐものはそれを放置できない。時に自然にまかせたり、時に知恵や技術の限りを尽くして改良したり......、そうして庭は揺るぎないものに育ち、ますます人々の関心を集めて行く。俵屋とはそんな旅館だ。

1709年に石州(島根県)浜田で綿・麻の織物を商っていた俵屋和助が、京都に土地を取得し、商いをするかたわら、上洛する同郷の藩士を泊める宿を始めたのが俵屋旅館の始まりだそうだ。以後、蛤御門の変で全焼するも、間もなく復興し、何回かの改装や増築を経て現在の形へと成長し てきた。1965年にコンクリート3階建ての新館を作り、伝統をモダニズムの理性で差配してきた佐 藤年は11代目の当主である。

新館の設計は吉村順三。日本の空間をこよなく愛しつつも素材や加飾への執着を明晰に始末する簡潔・骨太の建築家が現在の宿の基盤を作った。ただし、宿の設計思想の根幹を握り続けてきたのは佐藤年である。全客室がそれぞれ庭に面しており、京都の真ん中ゆえに決して広いとは言えない風呂からもしっかり坪庭の緑が堪能できる。改装に改装を重ねてきた宿は、試行錯誤の産物であり、宿への思いはまさに地層をなしている。

宿の魅力は座敷と庭の関係にある。荒ぶる草木、苔と石の自然と、履物をぬいで憩う畳敷きの清浄な空間が、いかなる親密さで交わるかという問いに、全ての客室がそれぞれ異なる個性をもってこたえている。屋内はほのかな翳りに包まれ、床の間には季節に応じた飾りや花、軸が吟味されている。いずれのあかりも蝋燭の火のようにあたたかく、宿で働くいずれの人々も、空間やもてなしの意味を心得ている。

佐藤年の夫であったアーネスト・サトウは、京都市立芸術大学の教授であり写真家でもあったが、極めて良質な近代的理性の持ち主であったようだ。その名残は、俵屋旅館に再現された書斎「アーネスト・スタディ」に今も漂っている。この場にいると、世界を経由し濾過された日本の美意識が、すっと心に染み込んで来るように感じる。俵屋旅館は、日本の格式を守るばかりの旅館とは全く違う。そのヒントがこの部屋に凝縮している。

庭に面した軽快で優雅なカフェ「遊形サロン・ド・テ」、あるいはさらりと洒脱な天ぷらを食べさ せる「点邑」など、俵屋旅館は、宿を進化させつつも、近傍に新たな試みを展開している。12代目 となる佐藤守弘は、同志社大で教鞭を執る学者でもある。アーネストと年の血を受け継ぐ守弘氏によって、俵屋がどう発展していくのかはこれからの楽しみであるが、まだしばらくは、年さんの冒険は続きそうである。

2020.7.6

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