アートの中で体験するアート

広島県の大竹市は巨大な石油化学コンビナートを擁する町で、文化施設には恵まれていなかった。その海辺に忽然と、東京ドームと同等の面積を持つ、美術館・宿・レストラン・庭園からなるアート複合施設が誕生した。その名称は「SIMOSE」。美術館やレストラン、そして10棟のヴィラは全て建築家・坂茂氏の設計である。

施設のオーナーは下瀬ゆみ子氏。建築資材の製造販売大手、丸井産業株式会社の社長である。事業のかたわら母娘二代に亘って収集されたアートコレクションが美術館の中心をなす収蔵品となった。雛人形に代表される人形のコレクションと、エミール・ガレのガラス器、そして欧州と日本の近代絵画がコレクションの中心である。いずれもエレガントな作風のものが多く、広い空間にゆったりと展示され優雅な時間を過ごすことができる。

一方、10棟のヴィラのうち、5棟は「森のヴィラ」と呼ばれる坂氏の住宅建築で、4棟は既に実現された代表建築の再現、1棟は新しくこの地のために設計されたものである。他の5棟は「水辺のヴィラ」と呼ばれる一連の新建築で、キールステックという建築構造材を、合理的かつ装飾的に使用した心地の良い解放感が特徴である。いずれの部屋の家具も建築家によるオリジナルで、この施設にかける坂氏の思いが滲んでいるようだ。

美術館は、木の構造が特徴的なエントランスと大展示室、そして8つのキューブで構成された可動展示室からなる。可動展示室は黄色、ピンク、青、緑、紫といった色彩豊かな箱で、内側は九メートル四方のホワイトキューブである。8つの箱は、浅い水盤上に配されていて、周囲をセキで囲い、内側の水位を上げると水に浮かぶ構造で、相互の位置を変えることができる。まさに「アートの中でアートを観る。」というコンセプト通りの美術館の姿である。

住宅として設計されている5つの建築は、期待にたがわず個性的である。3面のガラス壁が全て開口する「壁のない家」、紙筒で構成された「紙の家」、天井を支える全ての構造が収納家具になっている「家具の家」、ルーフトップに開放的なジャグジーを持つ「ダブルルーフの家」、原色の外壁が鮮やかな印象を生み出す「十字壁の家」など、現代的な住宅の住み心地を、宿泊を通して直に体験できる点で、建築ファン必泊の施設である。

つまり「SIMOSE」は美術館であると同時に建築ミュージアムでもあり、この地でしか体験できない稀有な空間である。2023年の3月の開館であるから、広大な敷地に植えられた木々の成長もこれからである。広島市街から車で40分程度と、都市とは程よい離れ方をしている。宿泊をしなくても、稀代の建築家が渾身のエネルギーで生み出したアート空間でアートを満喫するだけでも、来訪の意味があるのではないか。

施設のネーミングやVI・サイン計画、グッズ開発など、必要なデザイン一式をお手伝いさせていただき、その分、坂氏の造形感覚に細やかに向き合う時間が持てた。常識を覆すような斬新な着想で知られる坂茂の建築は、一見住みにくそうに見えるかもしれないが、氏の設計する住宅に満足して住んでいる人々は少なくない。建築的愉楽がいかなるものかを経験する上でも、この施設がより多くの人々と出会うことを期待している。

2023.10.2

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