北前船による繁栄の息遣い
「ハア〜、佐渡ーへー、佐渡ーへーと、草木もーなびくヨ、アリャアリャ、アリャサ」と唄う佐渡おけさは古色のついた民謡に聞こえるが、今日のAKB48のようなノリで、盛る佐渡を楽園として訴求する演出であったとか。「北前船」が当時の日本列島をいかに活性化させていたかを、僕らは時に反芻する必要がある。鎖国の200年間、交易はもっぱら国内に限られていたが、それは今日の想像を超えた列島の交流を生み出していた。
佐渡島の南西端に宿根木(しゅくねぎ)という集落があり、江戸時代と変わらない姿をとどめている。訪れてみると、1ヘクタールほどの場所にひしめき合うように軒を連ねて木造家屋が並んでいる。庭を持つような家ではない。船大工の村らしく、家は部分的に舟のような造りが観察される。細い路地や水路に沿うように、外壁となる板壁が時に曲面状に巡らされ、中には交差点の三角形の隅の形がそのまま家になったようなものもある。
密集した家並みから、さぞ人気の高い土地だったのだろうと想像される。かつて越前の衆が佐渡に移り住んで集落をなした土地であり、始まりは港だったそうだが、4㎞ほど東の小木港が整備され、北前船の停泊地として賑わい始めると、宿根木の人々は造船や廻船へと産業を切り替えていった。時代の風を捉えてまさに千石船を作る大工たち、自前の船で廻船業を営む船主たちによって、海の交易の拠点として繁栄したという。
文化というものは土地や風土に根ざすだけのものではない。文化の魅力は交流による混淆にあると感じている。日本の文化が、古くはユーラシア大陸からもたらされた文物と、近代においては西洋文明のもたらす知のかたちに刺激を受け活性化したように、佐渡にも日本の各地からの文物が溶け込んで混淆した。世界の旅行者たちが新たな文化の流動を生み出し始めた今日、かつての文化隆盛の痕跡から学ぶことも少なくないはずだ。
集落のうちの一軒「清九郎」という家の中を見せていただいたのだが、想像していた漁民の家ではなく垢抜けた邸宅である。一階には、囲炉裏を囲む広間があり、奥には仏間、そして二階には凝った床柱を持つ床や違い棚を持つ客間があり、まるで京都の数寄屋のような、瀟洒に作り込まれた空間があった。廻船業で財をなした家だったそうで、日本各地を巡ることで得た、物や情報がこの地にもたらされていたことを如実に伝えている。
宿根木には、佐渡ゆかりの民俗学者、宮本常一氏の提唱により、当時の暮らしに用いられていた3万点に及ぶ道具が保存されている「佐渡国小木民俗博物館」がある。漁撈用具1293点、船大工用具及び磯舟968点は、国の重要有形民俗文化財に指定されている。建物は大正時代の旧宿根木小学校。隣にある千石船展示館には原寸で復元された千石船「白山丸」が展示されている。千石船といえども船内に入ると思いのほか天井が低く狭かった。
この地の宿として「花の木」という旅館に泊まったが、立派な古民家の材を用いた感じのいい宿で、女将の手料理が美味しかった。陶芸家でもあるご主人と二人三脚で営んできた宿だそうだが、宿泊棟の佇まいもいい。客室内が素っ気ないのはむしろ気持いいが、多様な旅行者がやがて世界から来訪することを思うと改良の余地はある。佐渡の宿根木は過去に生きる村ではなく、そこに未来はあり、文化の交流は今後も起こりうる。
2023.2.6