茶と禅が響き渡るもてなしの空間
鋳物師の一家の妻が、明治初年、当地でお茶屋を開業したことに始まるという招福楼。戦後、3代目が今のかたちの料理屋として再開し、現在は4代目・5代目が力を合わせて営んでいる。館の入り口に立ち、敷地に足を踏み入れた瞬間から、禅味のある気配が感じられる。細かな砂利を敷き詰めた道はよく手入れされていて清々しく、いつしか禊の空間を経て、気分が浄化され、もてなしの空間へと導かれていく。この凛とした空間と空気感は、本店ならではの風情である。
佐川美術館の樂吉左衛門館を取材した折に立ち寄った際、見事な料理に思わず写真を撮った。その日は七月七日の七夕で、梶の葉が先付の蓋にあしらわれていた。平安の頃から、七夕に梶の葉に墨で願い事を書くならいがあり、それに因んでの趣向とか。水引が結ばれた梶の葉は美しく、強く印象付けられた。一年後の同じ七月七日に、縁があって再びこの料亭を訪れた。その時に撮った写真を含めての記録となる。
この記録はあらたまっての取材ではなく、たまたま2年続けて同じ日に、同じ料亭で、同じ趣向の料理に出会ったという縁のものである。したがって正確に言うと2年分の料理が混在している。僕は写真家ではないし、「低空飛行」では例外を除いて料理の写真はあまり撮らないのであるが、料理やその器、それを取り巻く空間に強くそそられ、衝動的に写真を撮った経緯から、それを生かしてこの料亭を紹介させてもらうことにした。
素人による料理の解説は野暮であろう。茶の湯の美学が、一服の薄茶と侘びた茶室に展開されるなら、この料亭はそれを、手間暇をかけた一連の料理やしつらいの空間として展開して見せてくれる。料理の質は茶の精神と一体となった季節の感受とその表現が柱となっている。氷の器に冷えた素麺が盛られて登場するが、これは明らかに楽茶碗である。麺をいただいた後、白い布にくるみ、氷の楽茶碗からつゆをいただく趣向。
鮎は前庭から料理人が焼き鉢を携えて登場し、露地にしゃがんで鮎の調理を始める。料理人は、抱烙の中を泳いでいる琵琶湖の鮎から一匹をつかみだし、串を打ち、それを焼き鉢の中の灰に刺して焼く。串を打たれる瞬間の鮎の一閃の身じろぎや、かすかな痙攣など、命をいただく緊張が、縁側から客席に伝わってくる。命が食材へと移行し、料理として皿に盛られるまでの過程が、赤裸々かつ印象的に一期一会を演出している。
絶妙に焼き上げられた鮎は、竹の葉をかたどった器に載せられて出てくる。やや大ぶりの子持ちの鮎である。焼き加減は申し分なく、串の打ち方も見事で、まるで生きて飛び跳ねているような躍動感が皿の上に表現されている。鮎はふた皿あり、二番目の皿には二匹のやや小ぶりの鮎が載っている。大きさからして稚鮎か。これは串から外され、二匹が重なって、やはり泳いでいるように見える。そう見えるような串の打ち方であったか。
七夕の季節に合わせて、器は涼やかなものが多かった。特に酒器は、冷やした酒が心地よく進む、目に爽快な冷気を送ってくれるような、透明な切り子が心地よい。また、デザートのマンゴーを載せた細やかな細工が施されたカットグラスの器も鮮やかにオレンジ色の果肉を引き立てていた。最後に出てくる薄茶は、繊細な織部の黒茶碗で、この料亭の主人の好みを伝える、品のある揺らぎをたたえていて心地よかった。
2025.7.7