削ぎ落とすもてなし、凛とした空気

能登の風土と一つになったような湯宿。そっけないほど簡潔だが、空間は美しく隅々まで気持が行き届いている。客を甘やかすようなサービスは一切ないが、その分素晴らしい料理でもてなされる。料理は板前ではなく経営している家族がつくる。余分な装飾が削ぎ落とされている分、宿には禅寺のような凛と澄んだ空気があり、これを好む定番客によって張りのある気風が保たれている。

能登半島の先端に、「さか本」のある珠洲市はある。主人の坂本新一郎は、土地には担うべき役割があるという。それを察知して全うすべきであると。能登はかつて北前船で賑わったが、今は日本の中でも最もアクセスの悪い地域になってしまった。それゆえに、ここには確かに日本の原風景が残っている。それを守りつつ、暮らしを立てていくことが肝要であるというのだ。

宿は先代が、湯治場だったところを譲り受けたもので、早くに亡くなった先代の仕事を1974年、二十歳の時に継ぐ決意をし、様々に手を入れ直しながら「さか本」を作り上げた。宿を始めて10年ほど経った頃から、ある建築家夫妻が常連客となり、来るたびに難点を厳しく指摘された。布団のしつらい、掃除の仕方、漆椀の器の色の揃え方、そして土地に根ざした料理の心得まで。

その日の料理の一つは筍。ずしりと重い合鹿椀の中で、熱々の湯気にまみれ、山椒の香りとともに運ばれて来る。豪快な盛り付けや抜群の風味・歯ざわりを賞賛すると、これも常連夫妻の指導の成果とか。雅ごとを気取るのではなく、田舎らしい料理をどかりと出しつつ、味は洗練を極めるべし、という指導だったそうだが、まさにその通りの出来。裏庭の竹林で育てた筍を、鰹節の種類を変えながら鰹と昆布の一番出汁で二度煮る。

白海老の素揚げから、低温で燻製にしたサヨリ、早採りのワカメの鮮烈な椀。鯛と三つ葉のからし味噌和えに、刺身はほんのりと赤い身の石鯛。先の筍を挟んで、焼き物はメバルの一種でハツメという魚。酒は各種豊富にある。この地の湧水も鮮烈で美味しい。布団も見事で、敷き布団の厚みや硬さ、そしてシーツの感触もこの宿らしい。食を堪能したあとはひたすら「寝る」を貪る。能登の夜に完璧に意識が吸い込まれていく。

2019.7.18

アクセス

〒927-1216 石川県珠洲市上戸町寺社