島には古民家の宿があった
日本列島を手描きする習慣があるのだが、描く度に素晴らしい自然が想像される場所がある。五島列島がそうだ。佐世保港から西へ60km。日本列島からポツリと外れて東シナ海に浮かんでいる。低空飛行が紹介する場所は、かつて訪れたことのある場所が大半だが、五島は例外。その地勢を見込んで取材を決めた。予想に違わず、澄みわたった自然があり、豊かな漁場や土壌・家畜に恵まれた半農半漁で、人々は静かに暮らしていた。
訪ねたのは小値賀島(おぢかしま)。他の島々は海底隆起によってできたそうだが、小値賀諸島だけは火山島で、海岸にはいくつか火口の痕跡があり、雄大な景観を生んでいる。溶岩が海に流れ込んでできた岬を「鼻」というが、「長崎鼻」と呼ばれる場所は牧草に覆われ、黒い牛が放牧されている。その光景は出来すぎた風景画のようにのどかである。牛はかつて島の干拓で働き、難工事のため数多くの命が失われたそうで、海辺には「牛の塔」と呼ばれる 供養の碑をおさめた祠があった。
柿の浜という白砂の浜に見とれた。石と砂と波がおりなす浜の条件は、世界中どこの海岸も同じだが、息をのむほど透明な海水と、楚々とした小さな浜の情景に胸を打たれた。やはり、海の水は澄み渡っている。かつてはアワビやサザエが豊富に獲れたそうだが、近年は海水温の上昇が見られ、漁獲量が減っているとか。世界の気候変動は、この島にも影響している。しかしながらひと気のない清浄な海岸はとても気持が良かった。
小値賀島は周囲30km、人型に入り組んだ形の島には4つの港があり、集落が程よく点在している。かつて交易や捕鯨の要衝として栄えた時期もあり、様々な国や地域と交流を持った歴史があるせいか、島の人々には進取の気風がある。一方で自分たちの暮らしに本当に必要なものを見極める芯の強さも持っているとか。台風の通り道のような場所で、人々の自然に対する信仰心も厚い。ここに古民家に手を入れ直した宿が6つできた。
東洋の美に通じ、古民家再生を事業として成功させてきたアレックス・カーが小値賀の人々や技術とともに2007年に再生した古民家が7軒。ひとつはレストラン「敬承藤松」、他の6つは一軒貸しの宿。「鮑集」「日月庵」「先小路」「親家」「一期庵」「一会庵」という名の示す通り、個々に趣が異なる。泊まったのはかつての素封家、旧近藤家の「親家」。武家風の古民家はカー氏の目を通して世界の人々をもてなす施設に変貌を遂げていた。
日本の未来資源を考えるには、圧倒的な独自性を持つ伝統へのアプローチが不可欠であるが、日本人は明治維新と第二次大戦の敗戦で、すっかり自国の文化に自信を無くしてしまった。観光という手垢のついたイメージを払拭し、グローバルな文脈に訴求力を持つ高解像のローカル・クリエイションを考えるとき、美意識の高い異国の目は有効である。「敬承藤松」にはアレックス・カーの書「乾坤一擲」があり、意味の深長に唸った。
小値賀島の東にある野崎島は、かつてキリスト教徒が信仰を携えて1800年頃に移住した島。2家族が始まりといわれる。ひと時は人口650 人までになったが、高度成長による暮らしの激変で人々は徐々に離島し、現在は無人。島の中程、野首集落に残された教会を見に行った。ここは小値賀の観光を支える「おぢかアイランドツーリズム」の1名のスタッフが住民票を置いて管理を行っている。煉瓦造りの教会は予想を超え、いい場所にいい顔で建っていた。
2020.12.7