外来の才能をもてなす気風
小布施は栗の産地として知られてきた。小布施堂は600年の栗栽培の歴史を持つこの地の、栗菓子の老舗である。ここは晩年の葛飾北斎が四度訪ね、滞在して絵を描いた地でもある。この地の、北斎を支援したのは高井鴻山という素封家の文化人であり、絵画にも覚えがあった鴻山は、北斎の才能を見抜き「碧漪軒」というアトリエを建て手厚くもてなした。元来、小布施の地には富裕な旦那衆が、外から来る文人墨客の才能の発露を喜ぶ気風がある。
瓦屋根の連なりや庭の造作、栗材をふんだんに用いた小道や味のある敷石、暖簾や看板は、文化を育んできた目利きたちの心意気を宿し、ここが保存された文化財ではなく、今なお生きた界隈であることを伝えてくる。葛飾北斎の重要な仕事が「北斎館」に収蔵されている。小布施滞在中に描いた二つの祭り屋台の天井絵は北斎が85歳、86歳に描いた肉筆画で、浮世絵や北斎漫画とは異なる躍動感を感じさせる作品である。
食においては「産地ではなく王国でなければならない」と、17代当主、市村次夫氏のいう通り、山の国ならではの豊穣がある。栗は「栗かの子」や「朱雀」など、長年の研究の成果を感じる極上の菓子を育んだ。小布施堂内にある「桝一市村酒造場」という小さな造り酒屋は、現在も木桶で酒を仕込んでおり、長野で冬季五輪が開催された頃、僕も請われて「白金」という酒と、酒蔵の看板をデザインした。
建築家ジョン・モーフォードが設計した、レストラン「蔵部」とホテル「客殿」はこの地に新たな文化の一層を加えている。フロンク・ロイド・ライトの薫陶を受けたジョン・モーフォードの日本における仕事は、パークハイアット東京の内装と、小布施の二つの施設のみ。木を用い、手で設計するモーフォードであったが、自身が小布施で感じたこの土地のエッセンスを、丁寧に氏の言語で表現している。
「蔵部」は開放性に富んだ調理場のしつらいで、大きな竃と飯炊き釜が鎮座する風情は独特で、思わずカウンターに座り込んで酒を飲みたくなる。写真好きのモーフォードがインテリアに用いた古い酒蔵の写真も、この空間の味によくなじんでいる。「客殿」は三つの土蔵を移築して作った宿泊施設である。インテリアは和洋のいずれともつかない造作だが、「客人」を丁寧にもてなす小布施の気風をじわりと伝えてくる。
2019.12.2