自然崇拝の原像を訪ねる

紀伊半島南部に見られる巨岩は、最新の研究によると1400万年前の巨大カルデラ噴火の痕跡だという。古来、日本人は森羅万象に宇宙や生命の源を見出し、豊かな列島の自然を崇拝してきた。神道とは自然を神に見立てた宗教である。仏教という複雑なシステムが大陸からもたらされたのち、自然に対する畏敬の心が、その複雑な構造性の中へと再編されたのである。熊野の地にはその自然信仰のもとになる原初の風景がある。(⑨・④・⑨)

大陸から地殻変動で引きちぎられた日本列島はさらに揉みしだかれる。紀伊半島はプレートが列島の下へと潜り込む力と強圧で海底が幾重にも折り曲げられ押し付けられて生まれた。加えて通常の火山噴火の数千倍といわれる巨大カルデラ噴火が熊野の地形を激変させた。マグマは地表あるいは地表近くで冷えて固まり硬い火山岩となった。やがて浸食によって露出する巨岩つまり荒ぶる自然の発露が、古代人の自然信仰を育んだのである。

大陸から地殻変動で引きちぎられた日本列島はさらに揉みしだかれる。紀伊半島はプレートが列島の下へと潜り込む力と強圧で海底が幾重にも折り曲げられ押し付けられて生まれた。加えて通常の火山噴火の数千倍といわれる巨大カルデラ噴火が熊野の地形を激変させた。マグマは地表あるいは地表近くで冷えて固まり硬い火山岩となった。やがて浸食によって露出する巨岩つまり荒ぶる自然の発露が、古代人の自然信仰を育んだのである。

噴火によってマグマが上昇し冷え固まった火成岩の露出は、カルデラ爆発の外輪に沿って円環状の岩脈を成していると推定されている。その一部である「古座川の一枚岩」は高さ100m、幅500mの巨岩である。潮岬付近にある「橋杭岩」も地表に露出した火成岩体で、硬い岩は台風の大波にも動じない。人間のスケールを超越した自然の威容を目の当たりにして、人々はそこに人智を超えた力の躍動を感じたことだろう。(①・①・②)

森は深く、南方熊楠が粘菌を研究した地の息づかいが伝わるようだ。南紀の町は海沿いに点在し、街道も海沿いに走るが、山に向かって進むとすぐに濃い森になる。熊野の山々の随所に露出する巨石や滝は霊場に見立てられ、その巡礼への意欲は、険しい山地の中に道を生んだ。霊場を巡るために設けられ、修験者たちが行脚した道は、神道、仏教、山岳信仰が交わる「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録されている。(⑥・⑦・⑧)

霊場として神仏も山岳信仰も引き寄せる「那智の滝」もまた地表に露出した巨岩である。火成岩体は硬く、風雨や川による浸食を受けにくいため、周囲の土壌が削られ、熊野地方には多くの滝が生まれた。落差133メートルの那智の滝は切り立った岩壁から三筋の滝として現れ、やがて一筋の光芒となって落下し、途中で岩肌の起伏にぶつかって水煙を巻き上げる。その姿はめくるめくイマジネーションを誘発させ、まさに神々しい。(⑦)

海にそそり立つ岩や、それらが波に削られて生まれる奇岩もさることながら、照葉樹に包まれた急峻な山々が奥へ奥へと連なる熊野山地の景観も独特のオーラを放っている。熊野川の上流の、やはりカルデラ外輪に位置する「瀞峡」は、堆積岩の露出が風雨や川による浸食をうけて河岸に奇観をなしている場所である。緑に澄んだ支流、北山川の水面も美しい。こうした自然の威容に包まれると、浄化されるようで敬虔な気持になる。(⑩)

「瀞峡」の険しい崖の上の建物に「瀞ホテル」という看板を発見した。木造の華奢な建築は一見してホテルには見えなかったが、かつてはホテルで、現在はカフェとして営業しているそうだ。崖伝いにかかる渡り廊下のような橋が、岸壁に食い込むように建つ別館につながっているが、今は壊れてしまい使われていないとか。おそらくは瀞峡の最上の景観を確保できたはずで、このホテルから眺める瀞の景色を想像すると胸が高鳴った。(⑩)

この地をご案内いただいたのは南紀熊野ジオパークセンター研究員の福村成哉さんとガイドの神保圭志さん。地質学と熊野文化に精通した方々である。健脚のお二人に連れられて歩く行程は登り下りの連続で、足腰が悲鳴を上げる。この地の風物と紹介されたウツボの天日干しの光景は、巨岩ばかり見てきた目に優しく映った。串本の漁港の近くの風景である。本州最南端、潮岬の灯台から見渡す海は、黒潮の名の通り黒々と見えた。

2021.2.1

アクセス

南紀熊野ジオパークセンター

〒649-3502 和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2838-3