遠浅海岸に打ち寄せる波

66kmに及ぶ波打ち際の風景が九十九里浜である。プレートが海底を押し上げたり、陸となった部分が波の浸食で削られて砂浜を作ったり、利根川水系によって運ばれてきた土砂が長年にわたって堆積したりと、房総半島の地質学的な生い立ちは複雑である。確かに館山や勝浦、銚子など、隆起した岩体を感じさせる場所と、それをつなぐように伸びた砂浜は随分と印象が違う。しかし果てしなく続く九十九里浜の光景は格別である。

遠浅の海岸というが、どの程度の遠浅なのだろうか。押し寄せる波の形が、その度合いを物語っているのかもしれない。ゆっくりと遠くから打ち寄せる波は、引く波と拮抗して大きく巻き上がっている。おそらくは遠浅であるほどに、波の振幅は大きく、九十九里浜の波は、より遠くからより大きく立ち上がるのであろう。風もなく、凪いだ浜に打ち寄せる波は、浜から遠いところで、津波のような迫力となって打ち寄せてくる。

天気予報は快晴であるのに、日の出とともに浜に霧が立ち込めてきた。もはや水平線はおぼろに霞んで見えない。ただ、波が、スローモーションのように沖で巻き上がり、崩れ落ちながら、次々に岸へと寄せてくるのである。色彩はやわらかなモノトーンで、まるでゆっくりと運動する水墨画のようである。とめどなく立ち上がる波は浜の砂と空気に溶け込み続けている。太平洋が作るこの雄大な景色も、間違いなく日本の絶景である。

寄せてくる波の先端は細やかに泡立っている。滑るように、舐めるように、浜に届いて力尽きた波は、白い泡のエッジを濡れた浜に置き去りにして引いていく。ぽつりぽつりと顔を出すハマグリの貝殻が、濡れた浜の上に引き波の痕跡を作っている。砂というのは、細かく砕かれた鉱物であり、動物の骨であり、貝殻であり、はたまた遠い海の珊瑚の欠片か。貝殻にとっては、ここから砂粒へと帰趨する、遠大な道程が始まるのだろう。

波に洗われていない、起伏のある砂丘は、見慣れない植物に覆われている。調べてみると「コウボウムギ」とか。砂の表面には、昆虫が這い回った痕跡のような、有機的な線が随所に観察される。はたしてどんな生物のなせる業であるか。どこか地球ではないような、異なる星に降り立ったような錯覚に陥るのは、周りを包む霧のせいかもしれない。果てしなく続くそんな砂浜のはるか向こうに、霞むように、波が動いている。

2022.6.6

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