城主の趣向を今日に守り継ぐ

朝7時半、開園とともに入場すると、掃き清められた回遊路に残る竹箒の跡が清々しい。岡山の「後楽園」、水戸の「偕楽園」、金沢の「兼六園」は日本三名園と言われており、いずれも江戸時代に大名により造園された池泉回遊式と呼ばれる大庭園である。庭の命は清掃と手入れ。後楽園の間近、城下町弓之町で生まれ育ったせいで、当たり前のように感じていた庭の風情だが、郷里を離れ久々に眺めると新鮮で、誇らしい気持になる。

後楽園は1700年に最初の完成をみている。当時の藩主、池田綱政が、治水・土木に長けた家臣、津田永忠に命じて作らせた。今でいう土木系エンジニアである津田の仕事は、田畑であった場所を竹藪で囲い、延養亭と呼ばれる瀟洒な建築を据えただけの簡潔なものだったが、綱政はあるがままの田園風景を望むような素朴な景観を愛したそうだ。回遊式とは言うものの、後楽園の要となる視点場は、延養亭の居間にあると言われている。

日本の庭といえば、禅宗寺院に見られる枯山水が、抽象に振り切った風情で人気を集めているが、石の加工や運搬、池泉や築山の造園技術が向上した江戸期の池泉回遊式庭園もぜひご体験いただきたい。散歩・休憩しながら鑑賞できる点が楽しい。当時の岡山藩は石工の技術が高かったと言われ、園の西部「二色が岡」に配された巨岩「大立石」は、九十数個に分割して運び復元したそうだ。石の造形の妙は日本の庭園の大事な見どころである。

庭の細部まで、綿密・瀟洒に設えられているのは、生真面目な岡山人の気質の反映であろう。柵や標識の素材は全て木や竹で、その工夫・技・手入れに感心させられる。今日の芝生はかつての田畑で、米・大根・茶・煙草・菜種などが植えられていたそうだが、藩の財政が逼迫した折に芝生になったとか。芝を守る意味で芝生の縁に配された、細割り竹を用いた円弧状の柵が、後楽園の風景に独特の細やかなリズムを生み出している。

野趣を雅に楽しめるのが「流店」と名付けられた東屋である。細い柱が上階を支えているが、一階には柱と板の間以外、壁もなく、板の間を縦二つに割るように、川の流れが屋内に取り込まれている。上の句を詠んで流し、下流でそれを受けて下の句を詠む「曲水の宴」の趣向ではという憶測もあったそうだが、それにしては流れが速すぎる。自然の水を館の内に取り込む趣向と見る方が自然であり、当時の藩主の風流に素直に寄り添える。

2020.2.3

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