ヒト新世が残す欲望の地層
トンビが気持よさそうに滑空しながら空中を漂うように飛んでいる。いい風が吹いているのだろう。犬島は、船着場から徒歩20~30分で島のどこにでも行けるような小さな島である。江戸時代から採石業がさかんで、明治30年頃には最盛期を迎え、人口は大いに増大した。その後、1909年から1919年までの10年間は、銅の精錬所が活況を呈し、約3500人もの居住者がいたそうで、花街もあったとか。今は往時の面影はない。
銅の精錬が行われていたのはわずか10年ほどであるが、精錬所のプラントはかなりの規模だったようで、6基の大きな煙突が広域に点在している。銅の相場の変化で精錬所は閉じられ、人は去り、廃墟となった。現在は順路が設けられ、産業遺構となっている。空をつく煙突の麓はこんもりとした樹木で覆われ、煙突は樹々の茂みに屹立している。長崎の軍艦島もそうだが、産業という「つわものどもが夢の跡」の荒びは心に響くものがある。
煙突の遺構には蔦のような植物が絡みつき、風が吹くと産毛のように揺れている。完全に元の姿をとどめる煙突もあるが、半分ほど壊れた煙突もあり、その廃れた風情が、この場所に特別な情緒を与えている。つまり、人間の欲望の痕跡と、それが放置された時間の長さ、さらにはそれらをなかったことにするかのように覆い尽くそうとする自然の摂理の恐ろしさ。それらが一体を成していて、この地を訪れる者に深い沈黙を強いるのである。
銅を精錬する過程で、酸化鉄とガラスを含んだ「カラミ」と呼ばれる副産物ができるそうだ。これを手柄杓で型に流し込んで固めた煉瓦は「カラミ煉瓦」と呼ばれた。カラミを流水で急冷粉砕したものは「カラミ砂」。煉瓦の一部は建築資材として用いられ、その痕跡は現在も形をとどめているが、カラミ砂とともに精錬所周辺や砂浜に廃棄されていたものもあり、まさに産業廃棄物による環境の荒廃があったことが偲ばれる。
カラミ煉瓦は、低い日の光を受けてキラキラと輝き、その様子は素朴な焼物か、流体の様相をとどめたまま固まったパホイホイ溶岩のようでもあり、かつて訪れたガラパゴス諸島の溶岩の浜を思い出した。ガラス質の混じる光沢感は黒曜石のようでもあり、遺構となった壁や床の風情は神々しくさえ思われた。訪れたのは朝の7時ごろで、快晴の朝の澄んだ光も、この産業遺構を美しい物質として見せてくれていたのかもしれない。
犬島は、アーティストの柳幸典が、アートの視点から再生を試みた場所だと言われている。そして建築家の三分一博志によって、煙突を通り抜ける風の流れを利用した空冷のメカニズムが機能する建築が装着されたそうだ。いずれも遺構に触発されての創造だろう。その着想に敬意を払いつつ、現代アートや建築よりも、さらに先の未来にも存在し続けるであろう、ホモサピエンスの欲望の痕跡と、その行く先に思いを馳せざるを得ない。
2023.1.2