遠島に芽吹く未来

周囲の自然を印象的に感じ取る装置のような建築である。額縁のような木製フレームが窓に配されていて、そのトリミング効果で窓外の光景がひときわ強く心に刻印される。2021年に完成した別館「NEST」はマウントフジアーキテクツの設計。壁は集成材を斜め格子に組んだ透かし状のユニットで構成されており、階段室や廊下にも詩情のある開口が工夫されていて、来場者の意識は自然と外部の環境(海)へと誘われるのである。

このホテルは海士町が出資する「株式会社海士」の経営で、いわば町ぐるみで運営されている。代表の青山敦士は北海道の出身。東京学芸大に在学中は発展途上国の支援などを考える「途上学」に興味を持っていた。先輩の勧めで卒業後に隠岐島海士町の観光協会に就職した。離島と途上国は似ていると感じ、この地に自身の活動ヴィジョンを見出している。2017年、33歳で株式会社海士の代表となり、ホテルの刷新に携わった。

1971年に国民宿舎「緑水園」として発足、1994年に「マリンポートホテル海士」となった宿は、近年、存続可否の議論に揺れていた。更新へと方針が決まったのちに青山敦士に経営のバトンが渡された。本館は一部改修、別館は新しく建て直され、施設は「Entô」と命名された。遠くの島、流刑の地の意であるが、その名前は町民たちに歓迎されたという。ホテルのスタッフは皆、島外の出身だが、島の人々との交流は各々に深いとか。

隠岐諸島は大きくは島前と島後に分かれていて、Entôがある中ノ島と、西ノ島、知夫里島は「島前」に属し、約600万年前にできたカルデラの外輪山の一角をなす。プレートテクトニクス的視点からユネスコの「ジオパーク」に認定されており、そのアクセス拠点としても注目されている。三澤遥のディレクションのもと、デザイナーの菅家悠斗が手掛けた展示室は、古代からの島の息遣いを感じさせる空間として工夫されていて面白い。

日本列島は言わばその全てがジオパークであり、津々浦々どこをとっても独自の魅力にあふれているわけだが、本土からぽつりとかけ離れた隠岐諸島は人も少なく、その分自然が色濃く感じられる。僕は2021年の8月、原稿書きに集中するべく休暇を兼ねて開館後間もない施設を一人訪ねた。ちょうど台風が隠岐諸島を直撃し、足を奪われて予想外の長逗留となったが、荒天を含め、めくるめく自然に抱かれた印象が心地よかった。

海士町は高知のデザイナー梅原真が長年アドバイスをしてきた地である。カレーの具としては質素と島民は考えていた「サザエ」こそ贅沢、と気づきを与え、『島じゃ常識、さざえカレー』の開発とデザインを担った。以後「島じゃ常識」が島民の矜恃の源泉となる。大事なものはすべてここにある、ない袖は振らない、という潔癖な島民の心意気を「ないものはない」という含蓄あるスローガンに仕立てたのも梅原氏。

かつて過疎から高校が廃校になりかけた時、教育に熱意を注ぐことを決め、校舎の中ではなく、島の暮らしや営みの中に授業の現場を開いていくことを海士町は行ったという。独自の教育が奏功し、教育関係者が次々と視察に訪れるようになり、高校も今では2クラスに増えているとか。ホテルも島の漁業も社会科の授業の一環で、生徒たちは取材や体験を通して世の中や経済を知る。島こそ学校であり未来はそこに芽吹くのである。

2021.11.1

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エントウ

〒684-0404 島根県隠岐郡海士町福井1375-1