内在する生を発芽させる苗床

那須の横沢の地に北山ひとみ、実優が展開する新たな宿泊滞在施設がある。コナラ、イヌシデ、ブナ、カエデなどの落葉樹の森と小川のせせらぎに囲まれ、夏の夕刻はヒグラシの声に包まれる。かつて二期倶楽部をひらいたこの地は第二の故郷のようなものだと北山ひとみは言う。日本列島のほぼ中央に位置し、御用邸を擁する穏やかな土地柄である。そびえる茶臼岳は活火山であり、温泉が旺盛に湧き出す古くからの湯治街にも近い。

「ここでは沈黙と孤独こそが最上の贈与。すべてが、分かち合うべき、生き物の獲り分」と冊子にある。北山ひとみは宿泊施設を介して常に文学や詩情を志向している。建築は造形的才能の発露ではなく、その土地の自然の理を顕現させるためにつくる。もてなしは客におもねることではなく、この地の自然とともに過ごす時間のなかで、自身の内側に満ちてくる「生」を感じ取ってもらうこと。これを至上と考えているようだ。

2018年の「水庭」の完成ののち、2020年に14棟15室の「スイートヴィラ」が完成した。既にオープンしていた、ガラス工芸と陶芸スタジオを併設した「レジデンス」はそのまま継続しつつ、これら三つを統合する「art biotop」の完成である。かつての二期倶楽部の文化を受け継ぎ、切り株からさらに強力な「ひこばえ」が育つように、新たな意志を携えた活力ある宿泊施設「来るべきアートのための小さな苗床」の誕生である。

スイートヴィラの建築設計は坂茂。那須の自然に静かに向き合う装置として建築家が用意したものは、大開口によって一つになるデッキと居室の空間、雨や日光を巧みに遮りつつ差し出される植物と石、そして上向きの庇によって開放的に抜ける空である。片流れの屋根は、居室で時間を過ごす人のこころを、屋外にダイナミックに射出するかのようだ。デッキチェアに座ると、気持がゆっくりと緩み、やがて内省へと導かれる。

敷地は二本の小川に挟まれた土地で、それぞれのヴィラは、小川へと傾斜した土地に並ぶように建てられている。入り口のフロアは寝室へと続き、居室とデッキは数段下のステップフロアに広がっている。幅5.6mの木製サッシの開閉はスムーズで、開け放つと屋外と居室の境界を忘れてしまう。プライベート空間でありながらアウトドアに放り込まれたような気分になる。白木の浴槽を据えた浴室の窓や壁も、大胆にデッキや庭に開放される。

ガラス工芸と陶芸の本格的な工房があり、スイートヴィラの客も、レジデンスの客も、この工房を利用できる。制作を目的にレジデンスに長期滞在する客も少なくない。仕事を忘れ、その日までの自分を一度脱ぎ捨てて、ガラスや陶土に向かう時間は確かに貴重かもしれない。僕の場合、残念ながら工房で過ごす時間は得られなかったが、手はこのように使うのだということを、こんな風に思い出すのも悪くないと思った。

ラウンジや客室に配されている書籍や工芸作品にもオーナーの想いが詰まっている。客室に書架が設けられ書物との出会いがさりげなく意図されているが、このお節介は好ましい。水庭、工房、そして自身と対峙するように設計された客室。保養とは単に身体の休息や日常の営みからの解放ではない、新たな言葉や思索と出会い、わが身に内在しているいのちの息吹を感じ直すことなのだと、この施設は宿泊客に語りかけているのだ。

2021.9.6

アクセス

〒325-0303 栃木県那須郡那須町高久乙道上2294-3